田中一村展
Nov
2024
23

もうすぐ会期も終わってしまう表題の展覧会に昨日行ってきました。

上野の東京都美術館で開催。
9/19(木)〜12/1(日)までです。

チケットを買うのに30分。
入場するまで30分。
鑑賞時間は300点余りの作品で3時間。
会場は3章に分かれていました。

なんと「3」にご縁があること!

第1章は「田中米邨」東京時代
彫刻家の父、稲邨によって8歳の時に「米邨」の号を与えられ幼少の頃から絵の才能を発揮し、神童と呼ばれていたそうです。
その頃の作品もたくさん展示されていましたが、細かい描写に惹かれます。
何の絵だったか、米邨の画号の上にちょっと破れたあとが・・なんでも父親が彼の絵に手を加えたそうで、それに腹を立てた米邨が破ったとか。自尊心の強さが窺えます(笑)。
17歳で現在の東京藝術大学に入学しますが2ヶ月で退学。自分が学ぶものはもうないと感じたのか、その頃すでに沢山の作品を描き続けていてあまりにも忙しかったのか・・・

第2章 「一村」誕生 千葉時代
30歳で千葉に移住。農作業をしながら絵を描く暮らし。
第二次世界大戦を経て39歳の時に「柳一村」という名で青龍展に出品した「白い花」が入選。その後も自信作を出品しましたが次々に落選。会場に展示されていた「秋晴」という大根が枝に干してある様が夕空に白く映えて印象的でしたが、この自信作が落選とのことですでに入選していた「波」も辞退して自ら燃やしてしまったとか。
ここでも彼の自尊心の強さに思い至ります。

第3章 己の道 奄美へ
そして50歳で単身、奄美に移り住み、有名な「アダンの海辺」や「不喰芋と蘇鐵」(冒頭の画像の絵です)などの力強い作品が生まれます。

以下は千葉市美術館副館長 松尾知子氏の弁です。
「己の道に集中するために奄美に渡り、その環境と心境を自ら作り出し、絵を完成させ画業を全うさせたことがすごい。幸せだったと思うのです。一村の支援者は最期まで絶えませんでした。何かこの人は大事なものを持っている。何か突き詰めようとしている人への尊敬の念を抱かせるような、そう思わせる一面が一村にはあったに違いありません。」

3時間ほどじっくり引き込まれて鑑賞し続けていたので、奄美の作品の頃はふくらはぎもパンパンで本当に疲れましたが、魂の絵画というにふさわしい作品展でした!

帰宅してソファにバタンキューでした。